2019-02-18 17:00

青木慶則 インタビュー | HARCO改名から1年 – 3月のリリースツアーを前に彼は何を想うのか

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前回UROROSがインタビューを「HARCO」にさせてもらったのが2017年の6月のこと。2018年、「HARCO」は「青木慶則」へと生まれかわった。12月には1stアルバム『青木慶則』を発表し、3月には東名阪のリリースツアーを控えている。彼は今、どんな思いとともに活動をしているのだろう。

 

関連記事:
HARCO活動20周年インタビュー。フルアルバム『あらたな方角へ』リリースと、HARCOのピリオド。そして、青木慶則のはじまりへ。

 

photo by Shiho Aketagawa
interview, art work by Mayu Murota

 
 

| はじめてのことばかり。一つ一つ、体当たりしていくしかない。

 

   いかがでしょうか、実際に「青木慶則」を1年ほどやってみて。

 
名義を変えて活動していくことそのものよりも、やっぱりフリーになってすべて1人でやっていく、ということが自分にはとても大きなことで。
かつてのマネージャーは、HARCOの20年間ずっとお世話になっていたんですけど、それよりもっと前、高校生のころにデビューしたバンド(BLUE BOY)のころから手伝ってくれていたので、その人と離れることになったのがまずは大きくて。
あとは、レーベルも同じところに10年間くらいお世話になっていたんですが、「青木慶則」になってから結果的に自分で立ち上げることになりました。マネージメントとレーベル、そのふたつの仕事の内容が膨大すぎて、かつ、ほとんどが初体験なので……とにかく大変ですね。

 

   具体的に、どういった仕事が増えましたか。

 
ライブのブッキングとか、こうやって取材をしてもらえるようにお願いしたりとか、お金の交渉とか、今まではほとんど誰ともしたことがなくて。なので、2018年からはそういったことが、急に一気に始まったという印象なんです。
BLUE BOYのころはバンドのリーダーがいて、運営的な面とか、バンドの売り込みのような部分ってのは、彼が率先してやってくれてましたね。だから僕を含め他のバンドメンバーは、その辺りについては何もする必要がなかった。作曲担当だった僕も、存分に打ち込むことができてました。
ソロ活動、つまりHARCOになってからも、わりと早い時期から先ほどのマネージャーがついてくれたので、対外的なことはだいたいおまかせで。つまり僕はもう本当に、作ることとパフォーマンスすることに専念してこれた、そんな25年だったんです。 

 

   慣れないことって、やり始めが一番辛いですよね。

実はかなり色んなことが空回りしてしまって……。次第に不安の方が勝っていって、精神的にも辛い時期ってのが去年の半ばぐらいにあったりしました。今はそれを乗り越えたんで、笑って振り返れますけど、本当にあのときは辛かったですね……。
新しいアルバムもそういう、辛いときに大半の曲を作ってました(笑) 一人で生きていく、自立していくには……みたいなことが端々に込められている、というか。かといって、ずっしりと重い曲に仕立てているわけではないので、ご心配なく(笑) 

 
 


 
 

   確かに、本名名義の1stアルバム「青木慶則」の曲には、もうやるしかない、みたいな新たな思いというか、エッセンスとしての決意が見え隠れしていますね。その辛い時期は、どうやって乗り越えたのでしょうか。

 
一つ一つ、体当たりしていくしかないって感じでしたね。はじめは、トランプのカードがすべて裏側しか見えてなくて、数字とか模様が何かわからないから怖くてしょうがないんですけど、めくってみれば、「なーんだ、スペードのエースじゃん」ってフラットな気持ちにたいていなれるので。とにかく、そのめくるまでの不安というのが強かったですね。

 

   自分の心が、ブラックボックスになっちゃって負けちゃってたというか。

 
その通りですね。でも実際に自分が実務として関わらなかったというだけで、そこにまつわる音楽的な経験というものは25年ぶん持っているので、多少は補えるかなという感じですね。

 

   以前のマネージャーさんとかに、相談されたりはしましたか。

必要最低限なことにしようと思ってますが、今でもよく相談してますよ。とにかく過去の資料が欲しい、エクセルを全部くれ!とは言ってます(笑) 細部まで把握していたところもあれば、曖昧なところもあるので。

 

   マネージャーさん、何回か私もお世話になりましたが、すごくいろいろ気付かれるきめ細かい方でしたよね。

 
今、いろんな方々と直接やりとりさせてもらってますけど、「結構みんな、こんなにゆるくやってるんだ」と思うことが多いんですよ。
例えばちょっとしたミスは、僕の方ももちろんあるけれど、先方にもやはりあるので。自分が「あ、そこ違いますよ」って即座に言えればいいけれど、気付いたりするタイミングが遅くて、間に合わずにそのまま発表されちゃう…なんてことも起こりがちで。
スタッフが一人いなくなっただけで、抜け落ちちゃうことがこんなにも増えるのか……と。でも、いくらあがいてもこちらは自分だけが頼りなのは、変わらないので。自分のミスと相手のミスに両方気付けて、どちらのこともためらわずにちゃんと伝えることが、すごく大事なんだなって。この1年ぐらいの経験で、それを痛感してます。

 

   普段私も原稿の校正などをしているので、若干耳の痛い話ではあります(笑) でも、ミスは本当にどうしても避けられないので、それに気付くことが大事ですよね。

 
最近も、大阪とか名古屋とか、いろいろなところにライブに行ったりすることが増えてきたんですが、ライブの一週間くらい前になって、「あっ、そういえばまだホテルも新幹線も取ってないや」って状態で(笑)

 

   ええ!?(笑)

 
やっぱり今までは全部やってくれていたので。なんか、ただふらっと行こうとしてましたね(笑) それで急いでチケット取ろうとしたら、ホテルがインバウンド(海外からの旅行客)の影響で取りにくくなってて、少し不便な場所になっちゃったりとか。そんなこともありますね。

 
 


青木慶則 – 瞬間の積み重ね

 
 

| 新しい風を入れたかった

 

   今回は「青木慶則」ロゴを作られたり、公式WEBもリニューアルされるなど、いろいろなことを刷新されましたね。

 
「青木慶則」のロゴは助川誠くん(SKG)にお願いして、WEBデザインはフタキダイスケくんにお願いしました。以前のWEBを作ってくれていたdrop aroundも、今もとっても好きなんですけれども、悩みに悩んで、結局変えることになりました。

 

   フタキさんの作られた今のWEB、すごくクールですよね。

 
フタキくんのことは、仕事の実績を追って見ていたので、この感じいいなって思っていて。あと彼はミュージシャンなので、ミュージシャンにしかわからないWEBの感覚というのもあるのでは、と。便利さが第一なので、チケットを取りやすくするとしたらこうした方がリスナーの皆んなが助かるとか、そういうかゆいところに手が届く人、ですね。
WEBに関しては、ロゴを作ってくれた助川くんも、すごくアドバイスしてくれて。

 

   いい人がたくさん周りにいてくれるというのは、心強いですね。

 
昨年1月初めにニューヨークへ行った帰りの飛行機くらいから、「チーム青木慶則」として新たに誰と組もう、みたいなことは、すごく考えてました。もちろん今までも本当に素晴らしい人ばかりなんで、依然何かしら頼ったりはしてます。でもやっぱり新しい風も入れたくて。
とくに助川くんは、会社や商品などのブランディングを主に行なっているので、ミュージシャンと仕事をするタイプのデザイナーではもともと全然なくて……。でも「ミュージシャンのブランディング」ってしたことないだろうし、ちょっと興味本位的な感じも含めて、楽しんでもらえたらうれしいなという想いで、意を決してお願いして。それでさっそくあのいいロゴを作ってくれたんですよね。

 


青木慶則 新ロゴ

 
 

   あれ、めちゃくちゃいいですよね。

 

とくに「青木慶則」の「慶」がね、字画がすごく多いので、そこはちょっと簡略化してくれて。昭和のころの交通標識みたいに……当時そういう漢字の略語って多かったみたいで、いろいろそういう写真資料とかを見せてもらいながら、今のロゴができました。
実は今お渡ししているその(業界用の)資料も、助川くんがデザインしてくれて。ふつう、紙資料ってレコード会社や事務所の人がサクッとテンプレで作っちゃうんですけれども、「青木慶則」は、お客さんに見えない部分もお洒落にこだわってみるという方針でいこうかなと。法隆寺の参拝客からは見えない木の枠組みも、実はすごく見た目を考えられてる、みたいな。

 

   なるほど。文字組が綺麗で、すごく見やすいなって思ってたんですよ。

 
 


とても見やすい資料

 
 


青木慶則 – どじょんこきえた

 
 

実は、このロゴが分解されたキャラクターが今週あたりできるんですよ。「ヨシくん」っていう名前で。

 

   青木さんの呼び名も、「(バンド時代の)青ちゃん」、「HARCOさん」と来て、次はキャラクターに合わせて「ヨシくん」になりますかね(笑) いまだにみなさんが悩まれている呼び方問題に終止符が打たれるかも。

 
プロモーション先でも、ちょっとした会話の中で呼び方の話になりますね。それだけで10分ぐらい会話が続いて、肝心な話をし忘れてしまったり(笑) 全然、僕は何でもいいんですが……本当は示したほうがいいのかなあ。「青さん」、「青木くん」……。

 

   私は漢字で「慶則さん」が、一番エゴサには向いているとは思ってはいますけど。と言いつつ「青木さん」ってもう呼んでますが。

 
そうですね、まあ本当になんと呼んでもらっても。ただ、SNSでは「#青木慶則」タグ付け推奨で(笑)

 
 


今週公開されたばかりのヨシくん

 
 

| 余計なものはできるかぎり削ぎ落として、素描のようなアルバムに

 

   アルバムの方向性はどんな風に決まったのですか。

 
過程を細かく説明してしまうと、とにかく最初はどこか生き急いでましたね。
2017年末にHARCOを終了して、2018年の年明けにすぐにニューヨークに飛んで、帰ってきて。とにかくジャズのライブを出来る限りたくさん観に行くという目的があって。今後の作風として、今まで以上に積極的にジャズを取り入れようと、当初は思ってました。
シティポップ路線も継承しようとは思っていたし、さらに少し色気のある音楽もできるんじゃないかなと思って、Tom MischやFKJといった、フレンチエレクトロ界隈というか、とにかくクールでちょっと渋いぐらいの曲にも影響されながら作ったりしていて。
……けれど、この僕の声でデモテープをたくさん作っていったら、あれ、なんか違うなと(笑) やはりまず、自分の声がそんなにクールで渋い声じゃないし、どちらかと言うと柔らかくて優しい系で……きわめつけとして、やっぱりいくつになっても少年ぽいところっていうのは、名前が変わっても顔が変わらないのと一緒でなので。それで、どんどん余計なコンセプトを削ぎ落としていったんです。

 

   ところで、いっそのこともう歌は全部なくして、インストゥルメンタルの曲ばっかりにしよう、という風にはならなかったんですね。

 
うーん、実はそれも常に考えていますけどね。僕、20年以上歌ってますけど、いまだに歌が上手いとは自分では思っていないし(笑)、インストの曲に振り切って仕事を続ける方が向いているのかなと不意に考えたりもするんだけど……やっぱり歌が好きだな、と。

 

   そこは、以前インタビューしたときからやはりブレないですね。

 
言葉自体も好きですし、活かせるのは歌だなあって。

 
 

 
 

   ニューヨークへ行って帰ってきて、作曲を始めて仲間もまとまってきて……やることもいろいろ増えてきますよね。冒頭で触れた「行き詰まった時期」というのが、だいたいこの頃くらいでしょうか。

 
そうですね。レーベル探しなど実務的なところが袋小路に入った状況で、曲作りもなかなか思うようにいかなくて。しまった、もうすぐ「青木慶則」になってから半年が経とうとしてる!って焦って。で、6月か7月かな、弾き語りの曲がもしかしたらいいのかも、ってふと思ったんです。
僕はついデジタルピアノで作曲しがちで。何かあればそのままコンピュータに打ち込めるので。でもそうじゃなくて、生のアップライトピアノの蓋を開けて弾き始めてみたら、アルバムの1〜2曲目がポンポンってすぐ完成して。あ、これかもしれないな、と。
実はもう1人、「チーム青木慶則」として手伝ってくれている、僕の20年以上昔からの友人がいるんです。僕のレーベル「Symphony Blue Label」と、CD店などに流通してくれる会社との間を取り持ってくれている人で。その彼に聴かせたら「今までにない感じで良いし、当たり前かもしれないけど、ピアノと歌だけで曲がきちんと成り立っているね、来週会おう!」って言ってくれて。その一言が、「よし、こっちで行こう」っていう後押しになったんです。

 

   後押ししてくれる人ってやっぱり大事ですよね。今回のアルバムのためにたくさん曲は書かれましたか?

 
実は、今回はそんなにたくさんは作ってなくて。僕、いつもは詞も曲も完成済みなものを、かなり多めに用意するんです。で、余ったものが次とか数年後のアルバムに……みたいなこともよくあって。でも今回は、できたものはほとんど入れたに近いんじゃないかな。こぼれた曲はせいぜい2、3曲くらいですね。

 

   いろいろできるまで締め切りを伸ばそう、ということは考えなかったんでしょうか。

 
2018年のうち、つまりHARCOが終了した翌年にはリリースする、っていうのは、最初からの自分の目標だったので、そこは絶対外したくなかったし、迷ってる自分も出したいな、と。

 

   リリース日が12月12日、ということは結構ギリギリでしたね(笑)

 
そう。本当はあと1ヶ月くらい早く出すつもりではあったんですけど。

 

   そういえば今回、リリースと同時に、サブスクリプション(Apple MusicやSpotifyなどの定額サービス)を解禁していましたね。

 
今までは、レーベルの方針もあったんです。でもここ数年で状況もすごく変わっているし、もうみんなオープンになっているなと思ったので。とはいえ、実際サブスクリプションっていうのは、本当に気の遠くなるような再生回数を経て、ようやくある程度のお金になる、みたいな世界ではあるんですけれど……。

 

   CDはCDで買ってもらって、普段はサブスクリプションで聴いてもらうっていうのが実は一番アーティストの応援にはなるっていう。

 
まさしく、その形が一番僕にお金が入ります。冗談みたいな話だけど、それが実際にミュージシャンの助けにはなりますね。

 

   案外、サブスクリプションに登録していないリスナーには、知られてないことかもしれないですね。

 
もしその気があれば、サブスクリプションで一日中、僕のアルバムをループでかけっぱなしにしてもらうのも歓迎です。空気清浄機のように思ってもらえたら(笑) でも好きな聴き方をしてもらうのが一番だし、電気は大切に!

 

 

   今回のアルバムの制作には、プロデューサー的な方はいらっしゃるのでしょうか。

 
今は、全然いないんです。なのでこのアルバムも、曲のブラッシュアップはほとんど自分ひとり。とはいえ、今まで出てきた人たちにたまに聴いてもらって、感想を受け取ったりはしてましたけど。

 

   エンジニアも、今回新しい人を起用されたんですね。今までは廣瀬修さんでしたよね。

 
廣瀬さんはもちろん素晴らしいエンジニアだし、経験も豊富なので、今でもCM音楽の仕事などはお願いしているんですけれど、アルバムは東京工芸大学で普段先生をしている橋本裕充さん(東京工芸大学・アニメーション学科 助教)にお願いしました。自身でも楽曲制作もしている方で。

 

   「南三陸ミシン工房のうた」のアニメーションを学生さんたちが作られてたときのご縁ですね。なぜ、今回は橋本さんに?

 
今までのHARCOとは違うことを試してみたいな、というのは一番にありましたね。今回のレコーディングは、横浜のゲーテ座ホールのグランドピアノを使ったんですが、橋本さんは以前から、新しい機材に詳しくて、緻密な部分にもすごくこだわる人だったので、やっぱり頼もしかったです。かなりの数のマイクで、ピアノを囲みました。ちなみにミックスでは、以前から工芸大のスタジオをよく使わせてもらってるんですが、ここも機材面ですごく安心できるんです。

 

   横浜・山手ゲーテ座でのレコーディングは、いかがでしたか。

 
ゲーテ座を取り仕切っている小池成樹さんという方が、いつもすごく気にかけてくださっていて。僕より歳上の方なんですが、HARCOのファーストアルバムからラストアルバムまで、リアルタイムで全部聴いてくれていて。僕より僕の曲のことに詳しいかも。

 

   最終的に、なぜゲーテ座だったのでしょうか。

 
スタインウェイっていうピアノが、多くの人が好きなように、僕も大好きで。なかでもゲーテ座のスタインウェイは、最初にあのホールに行った時にたまたま袖に置いてあったのを、ちょっと蓋を開けて弾かせてもらったときの記憶が今も鮮明で。
その音色にもう、すごいキュンとしてしまって。自分が弾いたスタインウェイの中で一番爽やかな音がするというか、適度な軽やかさというか。タッチもそんなに重くなかったし、ああ、こういうのって好きだなぁ……って。かといって重厚感がないわけでもなくて。
僕、自分で選ぶマイクも、自分の爽やかな方向の声が、より爽やかに、空気みたいに軽やかに聞こえるようなマイクを選んだりしてるんです。だから、ピアノもそういうのがよかった。それで選んだって感じですね。
でも今回のアルバムでは、僕の弾き方もあると思いますが、重量感も相当出たと思います。

 

   今までもゲーテ座では録音していましたよね。

 
そうです、1度だけ。「あらたな方角へ」で4曲ほど。でも、やっぱりバンドサウンドの中だったので、あのピアノの良さはやや伝わりにくかったとは思います。

 

   出してみて2ヵ月ほどですが、手応えは。

 
びっくりしたという印象も多いけど、このアコースティックへの切り替えを受け入れてくれる人には、おおむね好評です。僕の方は、もう、出した直後は本当に不安で不安で(笑) こんなにシンプルなアルバムを今まで出したことがなかったから。
でも、自分で繰り返し聴いているうちに、だんだん自分で自分の曲に癒されるようになって。僕、2週間ごとにこのアルバムの印象が変わっていくんですよ。さっきも車で聴いてたんですけど、好きな曲が、その前に通して聴いたときとは明らかに変わってますね。まだ自分でも、このアルバムに対する気持ちが落ち着いてなくて、1年ぐらいかかるんじゃないかな、なんて思っています。でも、発売したあとにこんなに聴き返しているアルバムというのも珍しくて。

 

   繰り返し聴いていて、今、このアルバムのここが気に入っている、というのはありますか。

 
2週間ごとに感想が変わるのでアレですけど(笑)、今は「手のひらのニューヨーク」が一番好きですね。

 

   私もその曲、好きです。いいですよね。

 
あ、嬉しいです。実はこの曲はかなり早い頃にできたんで、当初はバンドサウンドをイメージして作っていて。でもある人に「この曲はバンドが欲しくなる」って言われてしまって。その意見ももちろんOKで、そのうえで今日あらためて聴いてきたけれど、やっぱり僕はこれで完成だと思っていて。弾き語りっていわば、素描を描いたあと、そこに絵の具やグラフィックを足したりしないで、「これで納品します」という状態。僕自身、アートを観るとしたら素描が一番好きなので、今回のアルバムは自分のために作った部分も大きいのかなって思ってます。
ちょっと細かい話ですけど、この曲の《誰かがそっと息を吹けば》の《吹けば》のメロディや、もっというと《ば》の置き所って、ふつうだったらそうはいかないっていう方向に向かわせているんですけど、そういうところに僕らしさが出せたなとは思ってますね。

 

   「期待を裏切ってくれるはずだ」という期待にこたえてくれる…青木さんが作る曲って、ありふれたメロディに飽きた人たちのためのカタルシスがあるんですよね。

 
 

 
 

| 青木慶則の「今」をライブで観てほしい

 

   1年離れて今HARCOって、どう感じますか?

 
ライブの物販には一応、HARCOのCDも持っては行くんですが、アルバム「青木慶則」に比べると、買ってくれるお客さんがグッと減ってしまいましたね。ライブでは今はまったく披露していないからというのももちろんあるんですが。
そういえば自分も今HARCOって全然聴いてないし、この頭の中に、まったくその世界観がないんですよ。やっぱり新しい方向に行きたいっていうのもあるけど、あくまでも自然な形として、今は意識が向かないんです。
……なんて言いながら、HARCO時代に作った曲はまだストックが豊富なので、今回アルバムに2曲収録したんです。さて、どれでしょう?

 

   えっ、いきなり「部屋でクイズ」状態! ……多分これというのはありますが、外れると恥ずかしいからちょっと(笑)

 
「花のトンネル」と「最期のスポークスマン」が、そうです。

 

   あ、やっぱり、そんな気が……。完全な後出しですけど、言葉のクセのようなものを無意識に感じたんですよね。あー、言えばよかった(笑) 逆に、青木慶則らしいな、っていう曲というとどれでしょうか。

 
最後の2曲「早春の手紙」「卵」なんかは、結構生々しいというか、HARCO時代には絶対に書かなかっただろうなっていう曲ですね。

 

   以前のインタビューの時に「またHARCOに戻りたいって思う時ってありそうですか?」「多分ないでしょうね」という話をしましたが、なんだか、本当にそういうことはなさそうな感じがしますね。

 
そうですね。昔、解散したバンドも、またやりたいという気持ちはあまり湧かないので。ただ、当時の曲はやっぱり今では絶対書けないし、愛着もあるから、HARCOの時にバンドの曲を演ることもあったように、HARCOの曲も一刻も早く歌いたいなというのはあるんですけど。まだもう少しかかるかなと思いますね。

 

   これからの青木慶則はどんな風になっていきたいですか?

 
今回はピアノ弾き語りアルバムをつくったんですが、これからも弾き語りだったり、リズムの楽器以外で構成するっていうのを、何枚か続けていきたいなとは思っています。

 

   WEBのプロフィールがバイリンガル仕様になっていましたが、海外展開なども視野に入れていますか?

 
憧れはあるんですけれど、やっぱりドメスティックな気持ちが強いかな……。とはいえ、サブスクリプションとかYoutubeとか、こういう時代なので、どうなるかはわからないんですけれども。それ以前に、日本での展開もまだまだ満足にできていないので、もっといろいろな人に届けばいいなと。
去年の秋からライブを続けてきたおかげで、このごろすごく良い形に仕上がってきたので、もっとたくさんの人に聴いてもらいたいっていう欲が、ここにきて爆発してるんです。うちのまんじゅうの味はこれだ!みたいなことを、声高に言いたい(笑)
そういう意味で次のセカンドアルバムは、噛み締めて味わってもらいたいところによりフォーカスできるんじゃないかなとは思ってますね。

 

   すでに、次のアルバムの計画が。

 
僕の中で9ヵ月計画ってのがあって。メインのアルバムって、だいたい2〜3年に1回くらいなりがちですが、僕はやっぱり1年に1枚か、それ以上、みたいな気持ちがあって。それで9ヵ月。9ヵ月ごとだと、同じ季節にならないんですよ。

 

   なるほど、じゃあ次は秋で。次が、夏で……。

 
実現するかはわかりませんが(笑) ファーストは冬だったので、秋ということにすれば遅くても今年の11月には! 課題なのは、このインタビューがリリース日からすでに2ヵ月経っているように、いろんなことが後手後手になってしまっているので、今度のリリースのときにはちゃんと先手を打っていきたいですね。とくにレーベルマスターとしては。

 

   ミュージシャン、マネージャー、そしてレーベルマスターとして、慣れない仕事を数倍こなされているというのはいろいろ大変とは思いますが、もうとにかく慣れるしかないですよね。

 
そうですね、今はまだやっぱり、トランプのカードをひっくり返してる段階なので。でも周りを見渡せば、自分ひとりで頑張っているミュージシャンはたくさんいるので、いずれ自分も慣れるんだろうなって思っています……できれば明日にでも(笑)

 
 

 
 

 
青木慶則『青木慶則』

発売:2018年12月12日(水)
定価:2,778円+税
品番:SYBL-0001

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収録曲:
1. 支度
2. 瞬間の積み重ね
3. 手のひらのニューヨーク
4. Time To Say Goodbye
5. どじょんこきえた
6. 花のトンネル
7. Symphony Blue
8. 働き方を考える
9. Piano, Steps, Craps #1
10. 最期のスポークスマン
11. 早春の手紙
12. 卵

 

Yoshinori Aoki 1st Album Release Tour

 

2019年
3.07 THU 名古屋・今池TOKUZO
3.09 SAT 大阪・梅田 GANZ toi,toi,toi
3.13 WED 東京・吉祥寺Star Pine’s Cafe

 
チケット発売中!
https://www.yoshinoriaoki.com/live/coming-up

 



 
青木慶則(あおき・よしのり)

1975年10月16日、横浜に生まれ川崎で育ち、ピアノ教師の母のもと音楽に囲まれながら幼少期を過ごす。
10代でドラムを始め、1993年に17歳でバンド BLUE BOY のドラマーとしてメジャーデビュー。1998年に解散。
1997年から2017年までの約20年間は、HARCO(ハルコ)名義でシンガーソングライターとして活動。平行して、TVコマーシャルや番組の楽曲制作、歌唱、ナレーションのほか、映画音楽の制作、他アーティストへの楽曲参加など、幅広く活躍した。2015年にはNHK みんなのうたの歌唱も担当。2017年にHARCOとしてのラストアルバム「あらたな方角へ」を、2018年にはHARCO後期ベストアルバム「BOOKENDS -BEST OF HARCO 2- [2007-2017]」をリリース。
そして2018年からは、本名の青木慶則として再始動。個人レーベル「Symphony Blue Label」を立ち上げ、同年12月12日、待望のファーストアルバム「青木慶則」を発売した。

https://www.yoshinoriaoki.com/

 



Photo:KOTA SAKE(スタジオ35分

 
インタビュアー:MAYU MUROTA

キュレーター。某出版社に勤務するかたわら、不意にイスラエルからアーティストを招聘することとなり、2018年春に「chamber」を始動。ライブは美味い酒とともに、intimateに楽しみたい。

http://chmbr.jp

 

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