3月20日に茨城県結城市で開催される街なか音楽祭『結いのおと』。主催団体「結いプロジェクト」事務局の野口純一氏にインタビュー
| 市長さんもお金を払ってくるフェス
音楽フェスを街なかでやるのって、なかなか受け入れてもらえなかったりすると思うのですが?
野口 結い市を始めて、街の外からもたくさんのお客さんが来てくれたりして、空き店舗だとか結城の地域資源を活用することを内側の人達も認めてくれるようになってきてたんですよ。県の中心市街地の活性化事業の「最優秀プラン」をもらったりだとか、別の街の町おこしの人達が視察にきたりだとか、外から誉めていただいて、内の人達もそれに対する実績を認めてくれたりするようになってたんです。商工会議所という公共団体がキチンとやってるっていう部分での安心感がそこの根底にあるというか。
街のみなさんは協力的なのですか?
野口 最初は一軒一軒歩いて回って内容を説明したり、僕たちが考えてることや、「こういう街にしたい」という思いをイベントのカタチで見せたりだとか。そういった段階を経て、今は「結いプロジェクトです」とか「どうも野口です」とか言えば、「今度はなにやるんだい?」みたいな感じで、街のなかで新しいことをやってくれてるっていう期待感を持ってくれるようになったんですよね。
それこそ市長も結いのおとのチケット買ってくれたりだとか(笑)。市長がライブを聴きに来てくれるんですよ。
タダじゃないんですね(笑)
野口 当然、チケットを買ってもらってます(笑)。それが結城の良さですね。金銭的な支援は当然ないですけど、ちゃんと結城市の公認ももらって、結いのおとのポスターを市長室に貼ってくれたりだとか、市の職員の駐車場をお客さん用として貸してくれたりだとか、備品や機材も無償で貸してくれたりたくさんの支援をしていただいています。
| シャッター化が進んでいる街に歯止めをかけたい
結城市は1000年の歴史があるということですが、どのような街なのでしょうか?
野口 結城市の地形って南北に長いんですよ。ちょうど南と北の境をつくるように線路があって。結城市の北部市街地は城下町で、古いお店や蔵が立ち並んでいて、結城紬の問屋さんがいっぱいあって。結城紬は最盛期には3万反くらい生産量を誇る時期があって、それを家業にしている織子さんがたくさんいたんですよね。その人達が結城北部市街地の問屋さんに反物を卸して、そのお金で商店街で買い物をしてっていう循環でかつては街が盛り上がってたんですよ。なので、商売もどっちかというとお客さんが来るのを待っている殿様商売で。良い時期を経験しているだけに、なかなかこう開くような商売の仕方をしてないんですよね。
南側はどのような街ですか?
野口 南はもともとはあまり栄えてはいなかったんですけど、「50号バイパス」というバイパス通りができて、ロードサイドに大きいチェーン店だったりホームセンターとかができたんで、元々は北部にあった商圏が完全に南に行っちゃったんですよね。だんだんと着物離れから紬も着なくなるし、どんどん南が栄えてくるし、そうすると本当に北は衰退していく一方っていう感じなんですよ。
それに、南側にはメジャーなアーティストさん達がくるような文化センターやホールなんかの施設もあったりして、だから結いのおとも「南側のホールや文化センターでやればキャパももっと増やせるしいいんじゃない?」って言われたんですけど、やっぱり結城ならではの地域資源の魅力がつまっているのは北部で。地域資源を使ってこその結いプロジェクトなので。あえて古い建物を使ったりだとか、目的がちゃんとあるんでそれは絶対崩せない部分ですよね。
地域資源というのはやっぱり結城紬ですか?
野口 そうですね。だけど結城はどうしても結城紬だけで終わっちゃってた街なので、じゃあ「結城紬の他になにがあるの?」っていうと、街の人達もそれ以外の強みを感じていなかったんですね。どういうものが観光資源になるのかもあまり考えたことがなかった。だから他の街よりも遅れてきて、だんだん時代も変化して高齢化していく。商売も衰退してるし、シャッター街が増えた。そういうどうしても閉鎖的な部分があった街なので、今まで守って来た良さをどのように活用していいかこれまでわかってなかったんですよね。
それが結い市をやることで、古い街並があるじゃないとか、酒蔵があるじゃない、味噌蔵があるじゃないとか、結城の良さに気づけるような、結果論なんですけど、そういう風になっていったというのはありますね。
シャッター化が進んでいるのは全国の地方でも見られる現象なんですけど、それに歯止めをかけるという意味でも、僕たちが結城の魅力を外に伝えて、結城の街で商売をやってみたいだとか、結城に住みたいとか、そうなっていけばいいなと。
日本の絹織物の原点をいまに伝える布です。真綿から手でつむいだ糸を手織りすることで生まれる風合いは、最高峰の絹織物として、古来より多くの人々を魅了してきました。
その製作工程は、世界に誇るべき日本の技として、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。
また「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」の三工程は日本の重要無形文化財に指定されています。
(出典:つむぎの館)
実際、結城でお店をやりたいとかそういう人はいますか?
野口 結いのおとの1回目から会場になってる「御料理屋kokyu.」という飲食店があるんですけど、そこは僕たちがお手伝いをしながら開業までいったお店なんです。元々は、築90年経っている古民家で「廃墟」って言われてた場所なんですけど(笑)、1年間かけてリノベーションして。創作和食の料理屋さんを出したんですね。音楽が好きでセンスの良いご夫婦が開いたお店なんです。和食っていっても懐石料理みたいな高いものではなくて、僕たちみたいな若い人でも楽しめますよ。
お店を出されたのは、結城市の外の人ですか?
野口 奥さんは隣の栃木県のお洒落なカフェの店長をやっていた方で、旦那さんは元々は結城の人だったんですけど、全国で料理を修行してきた方で10年以上外にでていたんです。だれど、僕たちの活動を見て「やっぱり結城おもしろいから帰ってこようかな」ってことで、帰ってきてくれたんです。今では結いプロジェクトになくてはならない存在で、何かあると相談したりだとか、今回も結いのおとの会場としてフルで貸し出してくれて、当日のアテンドやアーティストさんのもてなしもしっかりやってくれて、結城を紹介するのにはなくてはならないお店です。これも活動のひとつの結果です。少しずつなんですけど、新しい動きが出て来てはいますね。
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