2015-11-06 19:30

第六食『恵比寿・リキッドルーム近くの海鮮丼屋(前編)』| 食漂譚~バンドマン東京グルメ紀行~

kuihyoutan

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第六食『恵比寿・リキッドルーム近くの海鮮丼屋(前編)』

text & photo by 淋梅毒(Super Ganbari Goal Keepers)

 

そういえば、本連載は題名に「バンドマン」と謳っておきながら、ロック音楽に関して言及していることはなかった。なので、今回は音楽についての話を多めに、前後編に分けてお送りしたいと思う。

 

写真1
恵比寿。リキッドルームに来る以外には、残念ながらほとんど来ることがない街だ。

 

上京してから、恵比寿リキッドルームや新木場スタジオコースト、日比谷野音によく行った。この3会場を聞いてピンとくる方はファンだろう。ゆらゆら帝国というバンドが目的だった。バンドという形態で音楽をやっているアーティストの中では、僕は彼らのことが一番好きで、影響を受けている(ソロアーティストでは勿論戸川純だが)。

 
ロックの基本楽器のギター、ベース、ドラムを用いたシンプルな3ピース編成で、「バンドという集合体」で何が出来るか極限まで突き詰めていった彼らの姿勢に、僕はバンドをやる者としてあるべき姿を見た。

 
話は小学生の頃に戻る。
1997年当時、スラムダンク世代だった小5の僕は、野球でもサッカーでもなくミニバスケをやっていた。週に火、金と二回ある練習の金曜の夜、練習を終えいつものように21時過ぎ、同い年の従兄弟と親の車に乗り込み、家路に向かった。途中水筒のお茶を飲みながらカーラジオを付けると、ある音楽ランキング番組がやっていた。

 
NHK-FMのミュージック・スクエアという番組だ。
今ではテイストや構成が変わり、ミュージックラインという後継番組が放送されている。仲の良いPOLTAというバンドの曲がこの前の夏にオープニング曲で使用されており、羨ましいやら、感慨深いやら、不思議な感覚があった。

 


POLTA / 新世界

 

話が逸れた。
そのミュージック・スクエアという番組は当時、月〜木は中村貴子というDJが毎日違うアーティストを迎え、じっくり対話をしつつ曲も流すといった作りだった(CMが途中で入らず曲がフルで聴けるのはNHKの良いところだ)。

 

中村貴子オフィシャルウェブサイト
http://nakamuratakako.com/

 

そして週の終わりの金曜は、トップ20をカウントダウンしていくランキング番組だった。DJは高木理恵。

 
ただし、いわゆるテレビやオリコンのランキング番組とは似て非なる順位内容だった。どういうことかというと、ミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティ、グレイプバインなど、硬派なロックアーティストがわりかし上位にランクインしているのだ。巷のほとんどのランキングでは一位のGLAYやB’z、モー娘。などを抑えて、ミュージック・スクエアの年間チャートではイエロー・モンキーの「SO YOUNG」が一位という事もあった。

 

写真2
いや、一度だけアルバイトしていたTSUTAYAの研修で、ガーデンプレイスの方のCCC本社ビルへ行ったことがある。そこはさらに自分とは縁遠いハイソな場所だった。

 

一体何故このような事が起こるのか?それは、月〜木を担当している中村貴子が上記のロックバンド達の楽曲を発掘・プッシュし、リスナーが新しいロックに触れ、ハマってしまう機会を沢山作った事と、それに加えてミュージック・スクエアのトップ20ランキングにはリスナーからのリクエスト数(当時はハガキだ)も反映されるので、一般的なランキングとは一風変わった順位になったというカラクリだ。

 
簡単に言うと、DJとリスナーの相乗効果である。当時小学生の僕はその影響をモロに受け、TSUTAYAで8cmのシングルの1位から10位を上から順にごそっと借りてとりあえず世間で流行っている曲をカセットテープに録音していた聴き方から、一般的なチャートからは外れたロック音楽をチェックする聴き方をするようになった。そして楽器の演奏にも興味を持ち、現在の売れないバンドを続けている29歳の人生に繋がる。

 
今から思えば、「政府が右と言ったものを左と言うわけにはいかない」と発言した情けないオヤジを会長に据えるNHKが、世間からはズレた相当尖ったチャート番組をやっていたのは感慨深い。首脳陣はさておき、少なくとも現場レベルでは今のNHKのテレビマン達も反骨心を持って番組を作ろうとしていると思う、テレビもラジオも。それは番組を見ていれば分かる。

 

写真3
リキッドルームには小谷美紗子を観に来たこともあった。

 

さて、そういう訳で、能動的にロック音楽を聴くようになった時分に時代を象徴していたバンドは、イエロー・モンキー、ミッシェル、ブランキーといった面々だ。身も蓋もない言い方だが、自分の中では「衣装を着る最期のバンド」と位置付けている。次の世代のナンバーガール、スーパーカー、くるり、中村一義らは、私服で普通にステージに立ってロック音楽をやるバンドだった。これを自分の中で勝手に「日本でロックがカジュアル化した世代」と言っている。

その次はアジカン・バンプ・サンボ・エルレ世代と続き、時代を経て現在はゲス極・セカオワ・ワンオク世代と言った感じなのだろうか。

 
2000年に入り、「衣装を着る最期のバンド」らが次々と解散していった中、ゆらゆら帝国は特異な存在感で活動を続けていた。全員ロングヘアーで、特にフロントの二人は全身真っ赤な恰好と全身黒ずくめな恰好で異様な立ち姿。曲の方も流行は一切反映しない。地上波に出演したり、ヒットチャートを賑わすこともない。しかし、ライブは常に大盛況。ロックフェスにも多く出演し、その素晴らしい楽曲と演奏はロックリスナーを一たび掴むと離さなかった。ミッシェルもナンバガも一度も観られなかった自分にとって、唯一生きる伝説と化しているバンドを観られるのは、この上なく貴重な体験だった。2006年に上京してから、何度も何度もゆらゆら帝国のライブに足を運んだ。(後編へ続く)

 

【参考サイト】
ミュージックスクエアファンサイト『MSLP』
http://mslp.themoonstar.net/

ミュージックスクエア 1999年 年間TOP100
http://mslp.themoonstar.net/guest/index.html

 
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次回は、「恵比寿・リキッドルームに行く途中の海鮮丼屋(後編)」をお送りします。

 

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お知らせ

コラム『食漂譚~バンドマン東京グルメ紀行~』は、毎月1日と15日をめどに更新する予定です。

 

umezawa

 
淋梅毒(りん・ばいどく)
1986年富山県生まれ。Super Ganbari Goal Keepersのドラマーとして活動中。
学生時代はドキュメンタリー監督・森達也の元で4年間メディア・リテラシーを学ぶ。
https://twitter.com/officeRBD

 
SGGK

 
Super Ganbari Goal Keepers(スーパーガンバリゴールキーパーズ)

2011年に結成。略称SGGKとして都内で活動中。
アルバム「Cang Gang Pops(宦官ポップス)」が流通盤として、各レコード店で販売中。草食系にすら食われてしまう、植物系ロックバンドとして、音楽雑誌「SGGKマガジン」を作ったり、SODクリエイトの人気AV「しゃぶりながらシリーズ」に楽曲が採用されたりと、独自の活動を続けている。

現在OTOTOYで両A面シングル「レコードコレクターズ / 世界は俺を中心に終わっている」の配信と、特設サイト「SGGKメンバーが影響を受けた50枚」を公開している。

 
SGGK 公式サイト:
http://sggkeep.flavors.me/

twitter:
https://twitter.com/sggk_ganbari



SGGK代表曲「植物人間系男子」PV

 

ライブスケジュール

SGGK年内ファイナル企画

日時:2015年12月27日(日)
会場:東高円寺UFOクラブ
競演:未定





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